スキップしてメイン コンテンツに移動

'Handsworth Songs' (1986)

'Handsworth Songs'

コメント

このブログの人気の投稿

'Femmes Femmes'(1974)

Femmes Femmes PAUL VECCHIALI, PRODUCER: FROM JEANNE DIELMAN TO DIAGONALE

'Mrs.Davis' ②

    この修道女たちこそテンプル騎士団だったのだ。血飛沫をあげ壮絶な死闘を展開する両者。しかし、修道院に戻ってきた女性以外全員死亡。彼女は息も絶え絶えのマザーから、聖杯を守り抜き、海の向こうのシスターに届けるよう、言い伝えられ、無造作に置いてあった聖杯をつかむと旅立つ。     このあと、画面は海上を移動し、島に近づいてゆくショットに換わり、文字の大きな字幕が出る。「現在、パリではない」と。その無人島には男が猫と暮らしている。と言っても、遭難し住み着いているだけで、夜空にロケットのようなものの発射に成功し、近くを通過する船舶に救出される。そこで彼はシュレーディンガーという名の博士で、猫の名がアポロということがわかる。「シュレーディンガーの猫」なのだ。         そこからさらに場面は変わる。ラスベガス郊外。闇夜のハイウェイで、知り合ったばかりの女性を助手席に乗せ、ご満悦の表情でオープンカーをかなりの速度で走らせる男性。すると、目の前に大きな牛(の看板)が現れる。慌てて彼がハンドルを右に切ると、そのクルマは、路肩に立つ巨大な広告板の下に空いた、そのクルマがギリギリ通れるくらいの隙間に猛スピードで突っ込んでゆく。運転していた男はとっさに身をすくめたが……隣の女性は頭が吹き飛んでいた。聖杯を奪いにきた輩に続き、またも、人の頭部が吹き飛び、血が小さな噴水のように吹き出す。ちょうどそこに警官が二人(男女)がやってくる。錯乱状態の男は家族に浮気の末の女性の死がバレないように、二人を買収しようとする。そこに今度は白馬に乗った女性が現れる。 このポスターの女性である。ただし、ベールは被っていない。彼女は今起きたばかりの一連の出来事がすべてマジックの一環であると男に打ち明け、クルマのラゲッジルームを開け、頭が吹っ飛んだはずの女性を外に出す。これは新手の詐欺かと男がいぶかしむと、詐欺師よりも悪質だと言い放ち、彼に手渡したチラシには、その女性と警官(の格好をした)二人のあわせて三人のマジシャンの名前が書いてある。 グヴィネア、モーガン & ランス。このチラシにも頭のない人が映っているが、その上端に書かれた三つの名は、...

'Connan'(2023)

「はじまりは舞台劇だった。ナンテールアマンディエ劇場のフィリップ・ケーヌに招かれ、作品化することになった」と'Connan'について監督のベルトラン・マンディコは、2022年の夏にVarietyで話している。「もともとはコナンの世界に嫌悪感を抱いていたけれど、自分に訴えかけてくるところがあるのに気づいたのが、ちょうど狂暴なキャラについてリサーチしていた時だった」。     コナンとは、映画『コナン・ザ・グレート』(監督ジョン・ミリアス)や『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART 2』(監督リチャード・フライシャー)を通じて広く知られているロバート・E・ハワードの小説『英雄コナン』の主人公のこと。マンディコの映画では、このコナンが女性として登場する。    「自分の映画はジョン・ミリアスの『コナン』とは真逆。暴力的な話でもなければ、荒々しい話でもない。コナンの人生のなかでも別のステージ---シュメール文明の時代から近未来---を探ってゆく。夢想的でコクトーあるいはポール・シュレイダーの『Mishima』っぽいところも少しある。コナンの人生の各ステージごとに感覚やリズムは異なりつつも、その根底には統一感が、そして、この人物の進化がある」     マンディコがこう語るように、映画ではクレール・デュブルク扮する10代から、50代のナタリー・リシャールまで、各世代ごとに計五人の女優がコナンを演じ分け且つ引き継いでゆくようだ。さらに、狂言回しの役割なのだろうか、「地獄の番犬」役だというライナー(その名はファスビンダーに由来するという)に扮するエリナ・ルーヴェンゾンは、実際に犬顔メイクで、この役に臨んでいる。 また、マンディコはこうも言っている。    「マックス・オフュルスの『歴史は女で作られる』('Lola Montes')で、彼女にとって地獄となるサーカスで、彼女の遍歴を物語る人物にも触発された」    ルーヴェンゾン扮する「地獄の番犬」は、ローラ・モンテスにとっての地獄で団長を務めるピーター・ユスチノフのキャラクターに負うところが大きいのだろう。