スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

5月, 2023の投稿を表示しています

'Tepeyac'(1917)

' Tepeyac '(1917) メキシコの無声映画。 特集' Le cinema muet mexicain ' @フォンダシオン・ジェローム・セドゥ―・パテ、パリ

'Connan'(2023)

「はじまりは舞台劇だった。ナンテールアマンディエ劇場のフィリップ・ケーヌに招かれ、作品化することになった」と'Connan'について監督のベルトラン・マンディコは、2022年の夏にVarietyで話している。「もともとはコナンの世界に嫌悪感を抱いていたけれど、自分に訴えかけてくるところがあるのに気づいたのが、ちょうど狂暴なキャラについてリサーチしていた時だった」。     コナンとは、映画『コナン・ザ・グレート』(監督ジョン・ミリアス)や『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART 2』(監督リチャード・フライシャー)を通じて広く知られているロバート・E・ハワードの小説『英雄コナン』の主人公のこと。マンディコの映画では、このコナンが女性として登場する。    「自分の映画はジョン・ミリアスの『コナン』とは真逆。暴力的な話でもなければ、荒々しい話でもない。コナンの人生のなかでも別のステージ---シュメール文明の時代から近未来---を探ってゆく。夢想的でコクトーあるいはポール・シュレイダーの『Mishima』っぽいところも少しある。コナンの人生の各ステージごとに感覚やリズムは異なりつつも、その根底には統一感が、そして、この人物の進化がある」     マンディコがこう語るように、映画ではクレール・デュブルク扮する10代から、50代のナタリー・リシャールまで、各世代ごとに計五人の女優がコナンを演じ分け且つ引き継いでゆくようだ。さらに、狂言回しの役割なのだろうか、「地獄の番犬」役だというライナー(その名はファスビンダーに由来するという)に扮するエリナ・ルーヴェンゾンは、実際に犬顔メイクで、この役に臨んでいる。 また、マンディコはこうも言っている。    「マックス・オフュルスの『歴史は女で作られる』('Lola Montes')で、彼女にとって地獄となるサーカスで、彼女の遍歴を物語る人物にも触発された」    ルーヴェンゾン扮する「地獄の番犬」は、ローラ・モンテスにとっての地獄で団長を務めるピーター・ユスチノフのキャラクターに負うところが大きいのだろう。

『ブラック・ミラー』シーズン6(2023)

6月に配信される『ブラック・ミラー』シーズン6のスタッフ/キャストと各エピソードのあらすじ、そして場面写真が発表された。あらすじは見てのお楽しみ、ということにして、スタッフ/キャストにサッと目を通してみたところ、もっとも期待されるエピソードは第2話'Loch Henry'だろうか。監督は2020年の最高傑作『I MAY DESTROY YOU/ アイ・メイ・デストロイ・ユー』全12話をてがけたサム・ミラー。主演/脚本等のミケイラ・コールの存在感が強い作品だが、全体のトーンを作り上げたのは彼だ。主役のカップルを演じるのは、『アトランタ』S03E05で視聴者を含め関わった者たちすべてを煙に巻いたサミュエル・ブレンキンと、『インダストリー』で主役のひとりを務めたマイハラ・ハロルド。  『ブラック・ミラー』シリーズでは、チャーリー・ブルッカー以外が脚本に携わった回は、過去に数回あるが、今シーズンでは、第5話'Demon 79'の脚本に『ミズ・マーベル』のクリエイター、ビシャ・K・アリが名を連ねている。監督は『ブラック・ミラー』S04E01を、『キャシアン・アンドー』では6話を撮ったトビー・ヘインズ。主演はすでに『ブラック・ミラー』E03S01に出演済みで、2021年に主役を務めた『絶叫パンクス レディパーツ!』でブレイク後、『キリング・イヴ』S04では準メイン・キャストに起用されたアンジャナ・ワサン。    今シーズンの第1話'Joan Is Awful'で主演を務めるのは、『シッツ・クリーク』『くたばれケビン!』そして『ロシアン・ドール 』S02のアニー・マーフィー、なサルマ・ハエックが自身として登場する。監督は『THE GREAT ~エカチェリーナの時々真実物語~』S02E07, E08を手がけたアリー・パンキウが監督。 そして『アトランタ』のザジー・ビーツ、'The Rising(2022)で主役を演じたクララ・ルガー主演、『ストレンジャー・シングス』S03E05,06を担当したユタ・ブリースウィッツ監督による第4話'Mazey Day'。 『ブラック・ミラー』S04E01で声には声でのみ出演済みのアーロン・ポール、ジョシュ・ハートネットが主演を務め、...

'Sambizanga'(1972)@レイヴン・ロウ、ロンドン

あまり幅の広くない河を挟んでアンゴラとの国境に接するナミビアの緑深いリゾート地でかつて数日間を過ごしたことがある。とはいえ、おいそれと簡単に入国できるわけではなかった。対岸には、といっても、ほんの数メートルしか離れてはいないのだが、迷彩服の男たちが国境警備に目を光らせていたからだ。内戦終結(2002年)も射程に入っていた時期だったとはいえ、アンゴラはその時でさえポルトガルから独立を果たした1975年以降27年続くことになる内戦下だったのである。 artpress誌497号の記事によると、ロートレアモンの詩「マルドロールの歌」からその名をとったという(詩人でもある)サラ・マルドロールが監督した' Sambizanga 'が発表されたのが1972年。単純にそのタイミングで河岸や街などの屋外に出て撮影することそのものが、当時高まっていたアンゴラ独立の気運を記録することになった。原作の時代設定は1961年だが、映画の5分の一ほどを費やし、秘密警察に連れ去られた夫ドミンゴ・シャビの行方を追い、地元ドンダから徒歩で一日半もかかる首都ルアンダまで嬰児を抱いて野山を越え歩き続け、たらいまわしにされても次々に警察を訪ねてゆく妻マリアの決してあきらめない姿からは、1961年から1971年までに蓄積されたアンゴラ人民の反植民地主義パワーが感じ取れる。秘密警察によれば、白人を皆殺しにしようとしているとしてドミンゴは逮捕されるのだが、彼自身の口から語られる言葉で彼が反植民地主義活動の旗手であるらしきことが伝わる台詞はわずかに一つか二つ。イズムを語ったり、説教調の台詞がないのが美徳だ。ルアンダ北部のサンビザンガの刑務所で殴られても蹴られてもとにかく絶対に口を割らない彼こそが独立運動の成功だけを望む真の活動家なのである。 このように、主人公たちの言葉ではなく行動に目を向け、映画の幕切れ直前に決定的な反植民地運動の勃興を予期させる映画として、最近では『Guava Island』(2019年、監督ヒロ・ムライ)がある。サハラ以南の女性監督による初の長編映画として語られることの多い' Sambizanga 'は、そういった作品の母親的存在でもあるのだ。ちなみに、マルドロール監督は『アルジェの戦い』(1966年、監督ジッロ・...

『夜のロケーション』('Esterno Notte')④

   囚われの身となったモロが書いた最初の手紙の受取人とされ、実際彼を自分の「父」と位置付けている内務大臣のコッシーガ(2000年代のベロッキオ映画の常連ファウスト・ ルッソ・アレシ )も役職的には警察のトップであるからか、誘拐されてしまったことにすさまじい自責の念にかられ、まるで、マクベスのように、自分の手が汚れていないかと周囲の人間に確認させたり、何も見えない真っ暗な部屋に自分から閉じ籠ったりして、精神の安定を保つようなありさまだ。後の述懐によれば、モロは彼を双極性障害だと疑っている。     第二話が主にコッシーガに焦点をあわせているとすれば、続く第三話は、教皇パウロ6世(名優トニ・セルヴィッロ)がその対象となる。この事件から一年と経たぬうちに他界してしまう彼は、体調がすぐれず、十字架の道行きの祈りもままならず、大きな十字架を背負い、政界関係者の一団の先頭をよろめきながら進むモロの姿を幻視してしまう。    この『夜のロケーション』は、イタリアのテレビでは、2022年11月に、一回二話ずつ、三度にわけて放映された。第三話がローマ教皇なのとは対照的に、第四話はアドリアーナ・ファランダを中心にした赤い旅団の動向に目を向けている。

'Mrs.Davis' ②

    この修道女たちこそテンプル騎士団だったのだ。血飛沫をあげ壮絶な死闘を展開する両者。しかし、修道院に戻ってきた女性以外全員死亡。彼女は息も絶え絶えのマザーから、聖杯を守り抜き、海の向こうのシスターに届けるよう、言い伝えられ、無造作に置いてあった聖杯をつかむと旅立つ。     このあと、画面は海上を移動し、島に近づいてゆくショットに換わり、文字の大きな字幕が出る。「現在、パリではない」と。その無人島には男が猫と暮らしている。と言っても、遭難し住み着いているだけで、夜空にロケットのようなものの発射に成功し、近くを通過する船舶に救出される。そこで彼はシュレーディンガーという名の博士で、猫の名がアポロということがわかる。「シュレーディンガーの猫」なのだ。         そこからさらに場面は変わる。ラスベガス郊外。闇夜のハイウェイで、知り合ったばかりの女性を助手席に乗せ、ご満悦の表情でオープンカーをかなりの速度で走らせる男性。すると、目の前に大きな牛(の看板)が現れる。慌てて彼がハンドルを右に切ると、そのクルマは、路肩に立つ巨大な広告板の下に空いた、そのクルマがギリギリ通れるくらいの隙間に猛スピードで突っ込んでゆく。運転していた男はとっさに身をすくめたが……隣の女性は頭が吹き飛んでいた。聖杯を奪いにきた輩に続き、またも、人の頭部が吹き飛び、血が小さな噴水のように吹き出す。ちょうどそこに警官が二人(男女)がやってくる。錯乱状態の男は家族に浮気の末の女性の死がバレないように、二人を買収しようとする。そこに今度は白馬に乗った女性が現れる。 このポスターの女性である。ただし、ベールは被っていない。彼女は今起きたばかりの一連の出来事がすべてマジックの一環であると男に打ち明け、クルマのラゲッジルームを開け、頭が吹っ飛んだはずの女性を外に出す。これは新手の詐欺かと男がいぶかしむと、詐欺師よりも悪質だと言い放ち、彼に手渡したチラシには、その女性と警官(の格好をした)二人のあわせて三人のマジシャンの名前が書いてある。 グヴィネア、モーガン & ランス。このチラシにも頭のない人が映っているが、その上端に書かれた三つの名は、...

『夜のロケーション』('Esterno Notte')③

  ゲロまみれのシーンから、沸き立つ赤い旅団シンパ、続いて(誘拐の報を聞きつけ)我が子の手を握りしめ急いで家に連れ帰ろうとする母親たちが次々に外に出てくる小学校の入り口をとらえたショットに切り替わると、ジャネットの"Porqué Te Vas"が聴こえてくる。 スペインで1974年にシングルとしてリリースされたこの曲を気に入ったカルロス・サウラ監督が『カラスの飼育』で使用、映画が75年にカンヌ映画祭で上映後賞をとり、各国で一般公開されると、あらためて、この曲が注目され、76年にフランスを筆頭に欧州南米数ヵ国で発売されると、イタリアを含む各国で軒並み大ヒットを記録したのだった。     「なぜならあなたが去ってしまうから」。そんな表題を持つこの曲が流れるなか、モロがどこかに連れていかれたことに対する様々なリアクション ーーー 沸き立つ赤い旅団シンパ、小学校の入り口のショットに続き、モロ夫人と神父のショット、そして、大きな箱に入れられ、クルマでどこかに運ばれる最中のモロの表情ーーーが映し出され、第1話は終わる。     ただ、第四話まで見ると、小学校の入り口のショットと"Porqué Te Vas"との関係はもう少し深そうだ。このショットには続きがあり、親が次々に子供を連れ帰ったあと、たったひとり残された女児が映される。なぜなら、彼女の母親アドリアーナ・ファランダは、赤い旅団にすべてを捧げ、彼女のもとから去ってしまったからだ。      一方、『カラスの飼育』では、彼女と同じ年頃の女児アナが主人公だ。映画では、両親を失くしたアナの唯一の心の拠り所が" Porqué Te Vas "なのだが、『夜のロケーション』で、自分にはなにも知らせずどこかに消えてしまい、気がつけばモロ誘拐殺害事件の最初の逮捕者となっていた母親に対する彼女の思いは到底想像しえない。

『夜のロケーション』('Esterno Notte') ②

   モロが襲撃され誘拐される場面よりも、誘拐の事実を知らされた直後のローマ法皇ヨハネ・パウロ6世をはじめとする関係者の反応の描写に力が入っている。とりわけ、アンドレオッティ首相のそれは不快なほど記憶に残るだろう。映画では、到底受け入れられない事実をなんの前ぶれもなく突然知らされたりした際、その場で吐瀉物が弱い放射線を描いて吐き出される瞬間を真横から、あるいは、トイレに駆け込み嘔吐する、ときには、便器を抱き抱えるようにして吐く姿を背後からとらえたりする。     それが、新組閣人事発表中だったアンドレオッティ首相の場合、その場をあとにして、ゆっくりと歩きだして向かった先のドアを開けて入るそこがトイレの個室なのはわかるものの、その中で何があったかはとらえない。そのかわり、トイレから出てきた首相がカメラに近づいてくると、胸元一帯が見るからにゲロまみれ。さらに、彼は上着を脱いだり、ベストを脱ごうとするものだから、かなりの大惨事だったことがわかる。    かつてジョン・ウォーターズは、映画における嘔吐の瞬間に偏執的な関心を持ち、該当場面だけをポラロイドで撮った写真を集めた展覧会まで開いている。今やマフィアとの癒着で有名なアンドレオッティ首相が、ウォーターズならずとも気にかけてしまう演出をベロッキオが選んだのには相当な理由があるはずだ。 

『夜のロケーション』('Esterno Notte')

1978年5月9日 新聞によれば鶏頭色のルノー4のトランクで、アルド・モロの遺体が発見される。レオナルド・シャーシャの書いた『モロ事件 テロと国家』の冒頭に付された事件日誌にはこうある。    ところが、この事件を題材にしたマルコ・ベロッキオ監督の『夜のロケーション』は、モロが生還し、極秘入院した病院に、内務大臣フランチェスコ・コッシーガ、ジュリオ・アンドレオッティ首相、キリスト教民主党幹事長ベニグノ・ザッカニーニの三人が慌ただしく駆けつけ、無理を押して、面会し、それぞれがモロと視線を交わす場面で始まる。    全6エピソードからなるRAI制作のこのTVシリーズでは、モロと彼らのあいだの関係あるいは、モロが囚われの身となっている間の各々の思惑や妄想から当時のイタリア、そして現在のイタリアの根底にあるものが引きずり出されるのではないだろうか。元首相で与党キリスト教民主党党首アルド・モロを乗せた青いフィアット130と警備要員を乗せた後続の白のアルファロメオ・アルフェッタが、待ち伏せていた赤い旅団の連中に銃撃され、運転手と護衛5人が殺害され、モロが誘拐されたのは、1978年3月16日のことだった。

Mrs.Davis

「フランス、パリ」、「1307年」、「10月13日の金曜日」、画面に収まる最大サイズの文字が並ぶ字幕(『 ウォッチメン 』の時よりも大きい!)が次々に映し出されるなか、今まさに火刑に処されようというテンプル騎士団の面々が繋がれた処刑場に、最後の騎士が連行されてゆく。タラ・ヘルナンデスとデイモン・リンドルフがクリエーターを務めるピーコックのTV/配信最新シリーズ' Mrs.Davis 'の冒頭シーンだ。この処刑の様子を見守る女性たちのひとりにカメラが寄る。翌朝騎士団の亡骸の山から甲冑のブーツにあたる部分を引っ張り出しているこの女性が、修道院とおぼしき場所に戻るなり、修道女長(マザー)らしき女性と目で合図しあう。 そこに武装した輩の集団が乱入し、リーダーの男が「聖杯を出せ」とマザーに詰め寄る。それを一笑にふした彼女に「テンプルとつるんでるくせに」と手をあげる。すると、この男の首が一瞬にして斬り落とされる。